















8月号はJR列車内で
ご覧になれます。
このホームページは車内月刊誌プリーズをもとに制作されています。
|
|
| 不屈のドラゴン。 〜久保 竜彦インタビュー〜 |
2004年12月 |
|
|
―サッカーファンにとって、忘れられない二つのシーンがある。一つは、’03年Jリーグ最終節の横浜F・マリノス対ジュビロ磐田戦で、1対1の同点で迎えた後半ロスタイムにマリノスの逆転優勝を決めたヘディングゴール。もう一つは、2006年ワールドカップアジア1次予選の緒戦となった、日本対オマーン戦。やはり0対0の後半ロスタイムに、日本を勝利へと導いたシュート。決めたのは、どちらも久保竜彦選手(横浜F・マリノス)。”ドラゴン“の異名をとる、日本を代表するストライカーだ。
「たまたま良いボールが来たんで、それを決めることだけ考えていました。フォワード一人じゃ何もできないので、周りのお膳立てがあったから決められたんです」
―久保選手は、先に上げた二つのシーンをそう振り返った。しかし、後半ロスタイムという極限状態では、最後まで諦めない気持ちがなければ結果は残せない。実際この二つのゴールで、マリノスは見事にJリーグ完全優勝を決め、日本代表は結果的に1次予選突破を果たした。ギリギリの局面で、きっちり決めてくれる。チームメイトにとってこれほど心強いフォワードはいない。久保選手がサッカーを始めたのは、福岡県朝倉郡三輪町。
「何にもないところなんで、田んぼの中で遊びながらサッカーをしていました」
―という、のどかな環境が原風景だ。高校は筑陽学園に進み、恩師の吉浦監督と出会う。
「先生からはサッカーのこと以外にも、気持ちの面とか、大人になるために大切なことをいろいろと教えてもらいました」
―その吉浦監督の勧めで、「サンフレッチェ広島」の入団テストを受け、合格。その後“日本人離れした”と形容される高い身体能力とダイナミックなプレーで頭角を現し、文字通り日本を代表するストライカーに成長する。
「高校の時はプロはもちろん、自分が日本代表に選ばれるなんて考えたこともなかった。広島の入団テストも先生からいきなり『行け』って言われて、受けたら通ったんです(笑)」
―今年1月、吉浦監督率いる筑陽学園は全国高校サッカー選手権に初出場し、準優勝という快挙を成し遂げた。そのスタンドには、後輩を応援する久保選手の姿があった。
「いやもう、ビックリしましたね。まさか決勝まで行くとは思っていませんでしたから。あの(筑陽の)狭い練習グラウンドで、あれだけのチームを育てた先生はすごいと思います」
―今でも吉浦監督や高校時代のチームメイトとは頻繁に連絡を取り合い、年に数回は集まって酒を飲むという。プロのサッカー選手になり、日本代表に選ばれるようになった今も、故郷や母校との絆は途切れることなく、しっかり結ばれている。私生活を支えている夫人も、高校の同級生である。
去年から今年にかけてJリーグと日本代表で大車輪の活躍をした久保選手だが、現在は怪我のため復帰に向けてリハビリ中である。本人は
「焦っても仕方がないですから」
―と、いたって自然体に見える。きっちり怪我を治し、チームに復帰することができれば、おのずと2006年のワールドカップも視野に入ってくるだろう。グラウンド上で見せる、決して諦めない不屈の闘志があれば。
|
| ■ |
久保竜彦 |
| |
1976年福岡県出身。筑陽学園高校からJリーグの「サンフレッチェ広島」へ入団。
'96年4月にJリーグデビューを果たし、'03年「横浜F・マリノス」に移籍。
日本代表には'98年に初選出され、以来国際Aマッチ26試合に出場(8得点)。
今年のワールドカップ1次予選やヨーロッパ遠征で活躍し、日本代表のエースとして名乗りを上げる。
|
|
|
|
| |
|