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このホームページは車内月刊誌プリーズをもとに制作されています。
母ちゃんに背中を押されて、オレの人生が変わったんや。
 〜島田 洋七インタビュー〜
2004年07月
 
―佐賀市の中心部から南に車で約30分。麦秋のころ、青々とした麦畑に囲まれた島田洋七さんの自宅を訪ねた。広島県出身の島田さんは小学校2年生から中学を卒業するまでの7年間、佐賀に住む母方の祖母に預けられた。著書の『佐賀のがばいばあちゃん』に、当時のいきさつが描かれている。

「遊びに来ていた叔母を駅まで見送りに行ったはずが、母ちゃんにドン!と背中を押されて、汽車に乗せられたんですよ。僕もまだ小さかったから、いろいろと大変だったみたいで。ばあちゃんの所に行けと言ってもきかんやったろうから、まんまと騙されたです」


―こうして、当時58歳だったばあちゃんと昭廣少年(島田さんの本名)の2人暮らしが始まる。

「最初の頃は、もう帰りたくてしょうがなかったですね。夜になったら泣いてました。でも、ばあちゃんとの生活が面白かったのも事実でね。朝になったら薪くべて、飯炊いて、毎日がキャンプみたいなもんでしたから」


―著書には、ばあちゃんの語録として「ケチは最低!節約は天才!」「うちは明るい貧乏だからよか」など、貧しくても明るく生きていくための知恵や金言があふれている。また、昭廣少年とのやりとりは、漫才のボケとツッコミを思わせる機知とユーモアに富んでいる。

 「ああ言えば、こう言う。その受け答えは天才的でしたね。毎年母に会いに、夏休みは広島に帰っていたんですが、冬休みに帰りたいと言うと『冬は汽車が走っとらん』。じゃあ春休みに帰りたいと言うと、『春は運転手さんは用事があると』と切り返す。そんな話をビートたけしにしたら、もう大笑いして、『そんな面白いネタがあるんだったら書きとめてた方がいいよ』って言われたんですよ。それがきっかけで、本を書くことになったんですわ」


―最初は自費出版のような形で出した『佐賀のがばいばあちゃん』だが、地元の佐賀を中心に徐々に評判を呼び、文庫化されてからも少しずつ版を重ね、すでに6万部を超えた。また、01年に島田さんが佐賀に自宅を移してからは、この本の映画化に向けて自然発生的にサポーターが集まり、今年いよいよ撮影が開始されることになった。佐賀の自宅を拠点に、東京、大阪で漫才コンビ「B&B」の舞台をこなしながら、撮影の準備に向けて忙しい毎日が続いている。

 「吉本の芸人からも1人1万円ずつカンパしてもらいました。(アホの)坂田さんからは、3回くらいもろたかな。あの人、前のことはよう憶えてへんから(笑)。映画の公開はまず、佐賀と福岡、それと故郷の広島からやりたいですね。まだまだ九州や佐賀の良さは、全国に伝わってないと思うんです。ですから、映画を見たければ、九州まで来てくださいと」



―かつて泣きながら佐賀で過ごした少年が、今では周りを笑わせながら佐賀で暮らしている。

文=江月義憲

島田 洋七
  本名徳永昭廣。1950年、広島県生まれ。広島広稜高校時代は野球部で甲子園を目指す。75年に漫才コンビ「B&B」を結成後、テレビ番組「お笑いスター誕生」で10週勝ち抜きを果たし、爆発的なMANZAIブームの火付け役となる。NHK上方漫才コンテスト第4回最優秀話術賞、日本放送演芸大賞 第9回漫才大賞など受賞歴多数。
「佐賀のがばいばあちゃん」
 昭和30年代の佐賀を舞台にした島田洋七さんの自伝で、「がばい」とは佐賀弁で「すごい」の意味。この本を原作に映画化しようと、2003年9月「映画佐賀のがばいばあちゃん製作を支援する会」が発足。ホームページにてサポーターを募集中。
 
 
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