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このホームページは車内月刊誌プリーズをもとに制作されています。
今年は全力疾走します。 〜城島健司インタビュー〜 2005年4月
 
―2005年、正月。福岡ソフトバンクホークスの城島健司捕手は、生まれ育った故郷の佐世保市から球春に向けて自主トレを開始した。
 「やっぱり正月は故郷でゆっくりしたいじゃないですか。佐世保市長さんをはじめ、地元の温かいサポートもあっていい自主トレができました。それに子どもの頃から知っている近所のおじさんや、おばさんが『ケン坊、ケン坊』って声を掛けてくれるし(笑)。気持ち的にもリフレッシュできます」

―城島選手にとって、年初に故郷でトレーニングを開始するのは、「初心に戻る」ための大切な儀式でもあるのだ。
 思えば13年前の春、健司少年は佐世保市内の中学校から、ひとり大分の高校へ旅立った。両親の反対を押し切っての進学だった。


 「甲子園に出ることよりもプロ野球選手になりたいという思いが強かったので、スカウトの目に止まりやすい高校に行きたかった。それに親元にいるとどうしても甘えがでるので、あえて自分を厳しい環境に置こうと思いました。実際、高校の3年間は辛かったですね」

― 大分に旅立つにあたり、進学に反対していた母親は健司少年と一つの約束を交わした。それは、高校の試合でホームランを打つまでは、決して試合を見に行かないというものだった。

 「ところが入学式の日にたまたま試合があってサヨナラホームランを打ったんです。なので次の日から試合を見に来られるようになったんですが(笑)」

―このエピソードが示すように、ここ一番の勝負強さが、城島選手の最大の魅力である。高校生の頃からプロ志向が強かったのは、実はある人物の影響が大きかった。

 「中学の時に参加した野球教室で、王さんから『君は体も大きいし、バッティングも素晴らしい。将来はジャイアンツに入りなさい』と言われたのです。その時から僕はジャイアンツに入るんだと思ってました」

―ところが高校3年生の時、王貞治氏は福岡ダイエーホークス(当時)の監督に就任し、その年のドラフト会議で城島選手を1位指名する。こうした運命的な出会いが、その後ホークスを常勝球団へと導く。まさに、強い星の下に生まれたとしか思えない。
 かつて健司少年が王監督に出会い、プロ野球選手への夢を抱いたように、今では城島選手が子どもたちに夢を与える立場にある。この自主トレ中にも佐世保で野球教室を開き、目を輝かせた多くの野球少年たちが集まった。


 「僕らが子どもの時には、九州にプロ球団がなかった。ところがホークスが福岡に来てからは、九州中から大勢の方がドームに足を運んでくれる。その応援に対して、選手は子どもたちに恩返しをしなければならないと思っているんです。しかも、うちのチームにはスタメンで出ている九州出身の選手が多いわけですから」

― 城島選手の思いは他の選手にも伝わり、今では主力選手の多くが地元に戻り野球教室を開いている。  今シーズン、新生ホークスが目指すのはもちろん日本一奪還だが、もはや求められているのは試合に勝つことだけではない。勝ち負けを超えた、野球というスポーツを通じてもたらされる新しい夢や感動。そのことを一番良く知っている城島選手が、ホークスの新しい伝統をつくろうとしている。

文=江月義憲

城島健司
  1976年、長崎県生まれ。別府大付属高校からドラフト1位で福岡ダイエーホークス(当時)に入団。3年目から正捕手の座に座り、'99年に日本シリーズ優勝。'03年にはパ・リーグMVPを獲得。去年のアテネオリンピックでは日本代表チームの4番を務め、日本球界を代表するキャッチャーに。
 
 
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